業務日誌#35

「しのご」が日々の業務で気が付いたことを、脈絡なく気ままに書き連ねています。

ホームズ物語における「ワトソン」の立ち位置

いつごろだったか忘れたが、新聞の広告に〝ワトソンのセリフ〟の本があった。なるほどホームズ物語において、ワトソンはその語り手として重要な地位を担っているから、ホームズファンのひとりとしてはいつか読んでみたいと思っていた。

ところが「ミステリーを書く! 10のステップ」を眺めていて考えが変わった。そこにワトソンは〝語り手人物なのである〟とはっきり書かれている。かなり昔に買ったものだが、いわゆる積読で、本棚の中で眠っていたのだった。読んでみるかと思ったわけは、このところの新型コロナの影響で家にいる時間が増えてしまったから。

なにしろワトソンは、「神のごとき探偵への崇拝心を読者に受け渡す責務を担っている」という。物語における重要な地位を担っており、それは「読者をフォローすることを忘れるな、という1点」だけの役割。なるほどなぁ~と思うのは、読者へ事件の顛末を解説する役割を担っているし、そして読者を熱狂的なホームズファンにさせる役目もある。

つまり「報告者としてのワトソンは、観察・分析・推理を語るわけだが、ドイルはここに、説得性ある仕掛けを定着させた。ワトソンの知力を平均の読者のそれよりも一段低いレベルに設定する、というパターンである」ということ。ワトソンは時にトンチンカンナな推理、的外れな動きなどなどを披露している。そして頭の回転が鈍いかといえば医者でもあるしそうでもない。ここがポイントなのだ。

ホームズは名探偵ではあるが、このワトソンの人物設定がポイントなのだ。「ワトソンが常に弱点をさらしていることによって、ホームズの天才ぶりはさらに際立つ。こうしたワトソンの役割については、ロナルド・ノックスの『探偵小説十戒』にも明記されることになった」という。さっそくWikipediaで検索してみると、すぐに見つかった。こんなことが書かれている。

  1. 犯人は、物語の当初に登場していなければならない。
  2. 探偵方法に、超自然能力を用いてはならない。
  3. 犯行現場に、秘密の抜け穴・通路が二つ以上あってはならない(一つ以上、とするのは誤訳)。
  4. 未発見の毒薬、難解な科学的説明を要する機械を犯行に用いてはならない。
  5. 中国人を登場させてはならない。
  6. 探偵は、偶然や第六感によって事件を解決してはならない。
  7. 変装して登場人物を騙す場合を除き、探偵自身が犯人であってはならない。
  8. 探偵は、読者に提示していない手がかりによって解決してはならない。
  9. サイドキックは、自分の判断を全て読者に知らせねばならない。
  10. 双子・一人二役は、予め読者に知らされなければならない。

なるほど……。ほかにも1920年代にアメリカ・ミステリ―のヴァン・ダインが詳しくルール化したらしく、「ミステリーの二十則」を訴えたらしい。これは山形浩生の「プロジェクト杉田玄白」で読んだことがある。また読んでみようと思ったら、リンク先が消えていた。いろいろ探してみると「探偵小説を書くときの二十則」として移転していただけ。詳しくはリンク先を読んでみてほしい。

ミステリ―小説に決まりごとがあるのは、もちろん承知している。ミステリー作家は、その謎のカラクリを考えるのに苦労するわけで、なにしろほかのミステリー作家のマネはできない。ときにめんどくさく、読んでいても〝そんなの、できるんかい!〟と思ってしまうものまである。ミステリー作家は大変だ。

葉隠に「TO-DOシート」が記載されていたとは・・・

葉隠。聞いたこともあるだろうが、この江戸時代当時の本を読むのは面倒だ。だったら、現代における解説もついた本を読めばいいわけで、ちょっと選んでみたのが三島由紀夫の「葉隠入門」だ。文庫本なので、面倒で読むのを途中でやめてもさほどいたくはない。

昔の文書に加え、三島由紀夫による翻訳と解説が入っていてこれが読みやすい。と、そのとき発見した。葉隠にも、今日の「TO-DOシート」の考え方が紹介されているではないか。ボクも超整理手帳用リフィルとして「TO-DOシート」を作成しているが、まさか江戸時代中期に書かれたらしい葉隠にTO-DOシートの考え方が書かれいるとは……。まさに驚きだ。

まずは三島由紀夫の現代語訳をみてみよう。

翌日のことは、いつも前の晩から考えて書き付けておくがよい。これも、万事人に先んじて予定を立てておくべき心得である。

これは、現代でならTO-DOシートだ。江戸時代の古文には何と書いてあるか。

翌日の事は、前晩(ぜんばん)よりそれぞれ案じ、書きつけ置かれ候。これも諸事人より先にはかるべき心得なり。

まったく今日のTO-DOシートの原点だ。ネットを見ると、TO-DOシートの作り方から使用方法などまでたくさんあるが、その始まりは葉隠にあったわけだ。まさに知識や行動の宝庫だ

この「葉隠入門」の中で三島由紀夫は、下記のように関連する解説も述べている。ちょっと長いが、引用してみよう。

わたし自身はあくる日の予定を前の晩にこまかくチェックして、それに必要な書類、伝言、あるいはかけるべき電話などを、前の晩に書きぬいて、あくる日にはいっさい心をわずらわせぬように、スムーズにとり落としなく仕事が進むように気をつけている。これはわたしが「葉隠」から得た、はなはだ実際的な教訓の一つである。

今年は三島由紀夫没後50周年ということで、東大で全共闘との対決を描いた映画や関連する書籍などが出回っている。記録映画や過去の番組映像でしかみたことのない三島由紀夫が、TO-DOシートの原点のような使い方をしていたとはビックリしてしまう。

TO-DOシートの使い方は、いまやネットで検索すれば、なかにはさまざまなアイデアが詰め込まれているものもある。こうなってくると、複雑すぎて使いやすいのか使いにくいのかちょっと考えてしまう。〝シンプル・イズ・ベスト〟で、単純なそして簡単なスタイルがいいと思っているのだが、超整理手帳のリフィルなどではなく、小さなノートタイプにしてみようか。

このBlogでも以前紹介した三島由紀夫の避暑地での姿を描いた「三島由紀夫の来た夏」。そこにドナルド・キーンがこんなことを述べていた。「吉田松陰も何十年も理解されず嗤われたのです。ミシマの行為は五十年、いえ百年かかって理解されてゆくでしょう。それでいいのです」。まさに、このセリフのとおりなのだった。

まさか葉隠に、今日のTO-DOシートのことが書いてあるとは思わなかった。歴史をさかのぼれば、もっと前にTO-DOシートの原点的記述があるかもしれない。

京大式カード活用のコツは「カードを『くる』」

「京大式カード」をネットで検索すると、途方もない数のサイトがヒットする。それならばと思い「知的生産の技術梅棹忠夫著)」の京大式カードのページを読みなおしてみると、カードを作成する解説はページ数も多いのは当然だが、著者の本音は「カードをくる」ことに重点を置いているような気がする。

梅棹氏が「道具というものは、つかいかたに習熟しなければ効果がない」ともいっているし、この使いかたに焦点をあててみる。そこには「カードをくる」ということの必要性を何回も述べている。ネットでは京大式カードを使うことへの解説は多いが、「カードをくる」ことへの言及は実に少ない。カード作成が面倒だという人の多くは、カードを作成することばかりに目を奪われ、肝心の「カードをくる」操作をないがしろにしているのではないか。

「知的生産の技術」を読みなおしてみると、「カードは活用しなければ意味がない。カードは『くる』ものである。カード・ボックスに入れて、図書カードをくるように、くりかえし『くる』ものである」と書いてあるではないか。たぶんにして、カードは役に立たないとか、カードを作成することばかりに精を出している人は、この「カードをくる」ということを述べていない。

「カードをくる」という操作は何をすることなのか。梅棹氏は「カード操作のなかで、いちばん重要なことは、くみかえ操作である。知識と知識とをいろいろにくみかえてみる。あるいはならべかえてみる」といっているではないか。そうすると「一見なんの関係もないように見えるカードとカードのあいだに、おもいもかけぬ関連が存在することに気がつくのである」。そして、その発見もすぐにカード化することになる。

カードを作るとなると、ほとんどの人はテーマごとに分類することに重点を置くのではないか。しかし、「カードは分類することが重要なのではない。くりかえし『くる』ことがたいせつなのだ」という。難点は「くる」という操作をやっていると、あきてくるのだ。またテーマごとにカードの山をいくつか作ると、自分の頭の中で混乱してくるし疲れてくる。

さらに肝心なテクニックがある。それは「なんとなく興味があるのだが、どういう種類の関心なのか自分でもはっきりしない、ということも少なくない。そのときには、『未整理』とか『未決定』とかの項目をたてて、そこに入れればいい」ということ。これを読んで気づいたことは、たとえば書籍などでは同じことを表現を変えながら繰り返し書いてある場合がある。こういう場合に作成したカードは思い切って排除するのだ。こうしてカードを基に最終的な文章などを作っていくと、実にスッキリする。

結局のところ「カードを『くる』」という行動は、はっきりと編集方針を決めていくということに集約される。過去にカードを書くことが不必要といっていた人たちは、このテーマ作成の方針が決まっていたからだろう。

梅棹氏も「生物学的に、個体発生は系統発生をくりかえす、という有名な法則がある」という。必要以上に何度も同じことを書くクセのある人は、この京大式カードを使ってすっきりした文書作成の構成を立てるのがいいかもしれない。

蛇足として、京大式カードの一枚一枚がとても分厚いのは、この「カードを『くる』」操作にはカードがヘタってこない厚みも必要だということだね。

外国帰りのマドロス、それが「三島由紀夫」

「昭和四十一年当時、そんな暑っ苦しいハデハデの水着を着る人など絶対いなかった。 ―(略)― 『あっ三島由紀夫だ!』と小さなどよめきが起こった。三島さんはまったく周囲を気にすることなく自信たっぷりの表情で歩いていた。ターザンになりきっていたのだ。 ―(略)―   この日本人離れした自己顕示欲がいい」。こんな書き出しで始まるのが、「三島由紀夫の来た夏」なのだった。

実のところAmazonの古本で買ったのだが、「落書きあり」というコメントがあったのでちょっと躊躇した。図書館でも本を借りれば、線を引いてあったりページの端を折っていたりなんてこともあるので、その程度だろうと思っていた。安価だったので買ってみると、落書きとあるのは著者である「横山郁代」のサインと「落款」ではないか。古本屋も単に機械的な処理をしているようで助かった(笑)。

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ちなみに著者のサイトを見ると、作者は三島由紀夫が好きだったマドレーヌを販売している洋菓子店主のようで、三島が愛したマドレーヌを購入するとこの著書がプレゼントされるようだ。こういうカラクリだったのかと納得したが、マドレーヌを買った人はたぶん古本屋へ売り払ったのだろう。

閑話休題

三島由紀夫が避暑地として訪れていた下田市の街での動向を書いたものだが、そこでは新聞テレビに登場するピリピリした雰囲気を持つ姿とはまったく別の三島が存在する。なにしろ「宇宙人的オーラを発散させながら一メートル四方に入れない近づきがたい雰囲気を漂わせていて、だからこそ私たち中学生に、もっと近づきたい、追っかけてみたいという気にさせた」というから、その当時でいえばまさに圧巻の人気スターだ。さらには街の人たちとも「文学者の面影などみじんもなく、どこか外国帰りのマドロスみたいに粋に町角を闊歩する素顔の三島さんに多くの人たちが接した」。

さらに「ホテルを訪れた客人にも張り切って案内をして祭りの説明をしていたというから、祭りの由来などしっかりし調べ上げていた三島さんであったろう」との姿は、単に避暑地に来たというレベルではない。

この著者、まだ中学生だったころのようだが、実家の洋菓子店へも三島由紀夫が来てマドレーヌを買っていたらいい。「一度母が『東京でもっとおいしいマドレーヌを召し上がっていらっしゃるでしょうに』と謙遜していたら、キッとした表情になって『東京であろうがパリであろうが関係ない。僕がおいしいというのですから』と逆に励まされたという」。この圧倒的な自信、ボクにはとてもマネできない。同じことを近所の店でいったら、逆に石を投げられるかもしれない。

ほかにもさまざまなエピソードは満載だが、それは「いかにも人と同じことをするのが嫌いだった三島さんらしい」のだそうだ。ボクもちょっとマネをして、人と違うことをしよう。でも、とてもマネできるようなレベルではないのも当然だろうけどね。

彼は著者へもやさしくアドバイスする。「『若い人は古典を読むように』。それから『あなたは文章を書き続けなさいね』」と読書指南もあったようだ。三島由紀夫からのメッセージとして語っていたことは「若者は、突拍子もない劇画や漫画に飽きたのちも、これらの与えたものを忘れず、自ら突拍子もない教養を開拓してほしいものである。すわわち決して大衆社会へ巻き込まれることのない、貸本屋的な少数疎外者の荒々しい教養を」。ただ頭が下がるばかりではないか。ボクのBlogをコピペして、さも自分が考えたようにしている連中には、この〝三島思想〟をぶつけたいものだ。

最近は記録映画として「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」なんてのもあるようだ。まだ限定公開のようだけど、ここに出てくる三島由紀夫とは異なった、やさしい彼がいる。最後に彼が語っていた陽明学思想も取り入れたと思われる三島由紀夫の言葉を紹介したい。「心に思っていることを行動に移さないのはつまり『何もしないことと同じこと』なのだった」。とてもボクには追いつけない……。

iWR2000/中満行を達成

何度も書いているけど、iWRとはインターバル速歩をブラッシュアップし、「インターバルランニング」にしたもの。3分間歩行、3分間ランニングを最低30分間は繰り返すものだ。そして2000の意味は2回目の千日行展開を行い、そこで666日間の中満行(前の1000日間を加えれば1666日間)を達成した。

2018年12月30日、2回目のiWRをスタートさせて2回目の千日行における中満行までこぎつけたわけだ。ボクのBlogも過去にコピペされたことは何回もあるが、この状況報告をコピペできるヤツはいないと考える。そもそもコピペしたところで、何のマネも文句も言えないだろうし、苦しかったときの状況すら答えられまい。

実行していて思うことは、2回目の千日行展開ともなれば体型の変化が他人の目からも分かる。年齢は中年以上老年以下だが、「お腹が出ていないから、いいですよねぇ~」などと歯医者の看護師に言われる。看護師なら患者をほめるのも仕事のうちだろうが、こう言われればうれしくないはずがない。

体型が徐々に変化しているわけだ。むかしトライアスロンをやっていたころ、体型も変化したが、そのトレーニングを継続させることはとても面倒だった。続けるにはスイム、バイク、ランと3種目を続けなければいけない。たいがいは得意な種目が中心になりがちになってくるわけだが……。

それに比べてiWRは、ともかく最低でも週4回(1回最低30分間の3分インターバルラン)を行うだけでよい。さほど面倒でもないし、週4回を行うだけなので、忙しい人にとってスケジュール調整もさほど面倒ではない。<続けること>、これが重要なのである。

世の中には「継続は力なり」という名文句がある。これは住岡夜晃という大正時代の宗教家の言葉らしいが、その全文を記載しておきたい。

青年よ強くなれ
牛のごとく、象のごとく、強くなれ
真に強いとは、一道を生きぬくことである
性格の弱さ悲しむなかれ
性格の強さ必ずしも誇るに足らず
「念願は人格を決定す 継続は力なり」
真の強さは正しい念願を貫くにある
怒って腕力をふるうがごときは弱者の至れるものである
悪友の誘惑によって堕落するがごときは弱者の標本である
青年よ強くなれ 大きくなれ

単純にいえば、「やったもん勝ち」というわけですな。あとほぼ1年間にわたって続ければ、2回目のiWR千日行達成というわけです。はい。

ピンホールメガネの成果(続編)

10月上旬のこのBlogで「ピンホールメガネ」のことを紹介した。ほぼ1カ月間に渡って実行してきたので、その成果を報告してみたい。この記事のベースとなった「ピンホールメガネと視力回復の考察」でも約1ヵ月後の報告をしているのだから、マネをしたっていいではないか。そう考えたのも、どうも胡散臭いメガネだよなぁ~と思っていたからだ。

100円ショップで購入したピンホールメガネを装着してトレーニングした結果を一言でいうなら、自慢できるような効果などひとつもない。そもそも約1カ月間程度のトレーニングで劇的な効果など出てくるはずがない。ただ気分的(?)な効果はあったような気がする。

なお、ピンホールメガネを装着している時間は5分間。日本語プログラミング言語「なでしこ」で紹介されている、カップラーメンの待ち時間3分間を計測するプログラム「ラーメンタイマー」を改造し、「5分間タイマー」を作った。これで朝、晩の1日2回のトレーニングとした。

1カ月間の具体的な効果は次の通りだ。

  1. メガネを掛けずにいる時間が増えた。PCに文書を書く場合も、メールの長さ程度の文書で込み入ったことを書かないなら、さほどメガネを必要としない。
  2. ボクは左右の視力が大きく異なる、いわゆる不同視。右目の視力は低いながらも、なんとなく左右とも似たような視力になったような気がする。あくまで「気がする」程度のものだ。
  3. 自分でも驚くのは、右目のかすんだような症状が改善されたこと。ネットで調べると、目のかすみは「白内障、ドライアイ、緑内障ぶどう膜炎などの病気」の疑いがあるなど恐ろしいことが書いてある。このかすんだような症状が、100円ショップで買ったピンホールメガネごときのトレーニングで半減してきたこと。これが一番うれしい。

ピンホールメガネにいくら効果があり、さまざまな雑誌や本などで紹介されていたにしても1~2カ月程度のトレーニングで劇的な効果など出てくるはずがない。約1カ月間の対応なら、こんなもんだろう。でも1カ月間程度のトレーニングで、気分的ではあっても改善されたような気分なのだから続けてみる価値はある。

このピンホールメガネによるトレーニングも、まずは図書館などで関連する本で再度調べて計画を立てるべきだ。次はそれなりのトレーニング期間も必要になるのだから、ボクの作ったお得意の「千日行リフィル」を使って、約3年間のトレーニングを行う。

そこでの経過状況も、このBlogで書いておきたい。