業務日誌#35

「しのご」が日々の業務で気が付いたことを、脈絡なく気ままに書き連ねています。

京大式カード活用のコツは「カードを『くる』」

「京大式カード」をネットで検索すると、途方もない数のサイトがヒットする。それならばと思い「知的生産の技術梅棹忠夫著)」の京大式カードのページを読みなおしてみると、カードを作成する解説はページ数も多いのは当然だが、著者の本音は「カードをくる」ことに重点を置いているような気がする。

梅棹氏が「道具というものは、つかいかたに習熟しなければ効果がない」ともいっているし、この使いかたに焦点をあててみる。そこには「カードをくる」ということの必要性を何回も述べている。ネットでは京大式カードを使うことへの解説は多いが、「カードをくる」ことへの言及は実に少ない。カード作成が面倒だという人の多くは、カードを作成することばかりに目を奪われ、肝心の「カードをくる」操作をないがしろにしているのではないか。

「知的生産の技術」を読みなおしてみると、「カードは活用しなければ意味がない。カードは『くる』ものである。カード・ボックスに入れて、図書カードをくるように、くりかえし『くる』ものである」と書いてあるではないか。たぶんにして、カードは役に立たないとか、カードを作成することばかりに精を出している人は、この「カードをくる」ということを述べていない。

「カードをくる」という操作は何をすることなのか。梅棹氏は「カード操作のなかで、いちばん重要なことは、くみかえ操作である。知識と知識とをいろいろにくみかえてみる。あるいはならべかえてみる」といっているではないか。そうすると「一見なんの関係もないように見えるカードとカードのあいだに、おもいもかけぬ関連が存在することに気がつくのである」。そして、その発見もすぐにカード化することになる。

カードを作るとなると、ほとんどの人はテーマごとに分類することに重点を置くのではないか。しかし、「カードは分類することが重要なのではない。くりかえし『くる』ことがたいせつなのだ」という。難点は「くる」という操作をやっていると、あきてくるのだ。またテーマごとにカードの山をいくつか作ると、自分の頭の中で混乱してくるし疲れてくる。

さらに肝心なテクニックがある。それは「なんとなく興味があるのだが、どういう種類の関心なのか自分でもはっきりしない、ということも少なくない。そのときには、『未整理』とか『未決定』とかの項目をたてて、そこに入れればいい」ということ。これを読んで気づいたことは、たとえば書籍などでは同じことを表現を変えながら繰り返し書いてある場合がある。こういう場合に作成したカードは思い切って排除するのだ。こうしてカードを基に最終的な文章などを作っていくと、実にスッキリする。

結局のところ「カードを『くる』」という行動は、はっきりと編集方針を決めていくということに集約される。過去にカードを書くことが不必要といっていた人たちは、このテーマ作成の方針が決まっていたからだろう。

梅棹氏も「生物学的に、個体発生は系統発生をくりかえす、という有名な法則がある」という。必要以上に何度も同じことを書くクセのある人は、この京大式カードを使ってすっきりした文書作成の構成を立てるのがいいかもしれない。

蛇足として、京大式カードの一枚一枚がとても分厚いのは、この「カードを『くる』」操作にはカードがヘタってこない厚みも必要だということだね。