業務日誌#35

「しのご」が日々の業務で気が付いたことを、脈絡なく気ままに書き連ねています。

速歩術を目指して(ラマ僧から忍者、ナンバ歩き) その1

速く歩きたいとは思うが、そのためには練習が必要なのはもちろんだけど目標だって掲げておきたい。とはいうものの、そもそも速歩術あるいは速歩方法などと言うものがあるのだろうか。

例えば、江戸時代の忍者や飛脚は東京~大阪間をおおよそ3日間で移動したらしい。いまで言えば100Kmマラソン以上のものだが、問題は帰りだ。自分でも42.195Kmのマラソンを走ったことはあるが、終わればヤレヤレで翌日は十分に休んでいる。とことが忍者や飛脚は仕事があれば往復になるし、忍者も往復で行動したらしい。要するに休憩期間などないから、体力温存も兼ねて走るのではなく速く歩くしかない。

大昔(明治時代以前?)のラマ僧(いまでいうチベット僧)も車がなければ舗装路もないから、標高4000mほどの高地を速く歩いて移動するしかない。これが「空飛ぶラマ僧」といわれた所以だろう。

自分だって速く歩きたいと思っていたのでここ1年ほどは速歩の練習をしていたが、1~2分程度速くなるといった程度で、それ以上の効果は思ったほどでもない。そこで少しでも速く歩いて移動する方法を調べてみたのだ。

まずは山歩きの書籍をみてみると、体重の移動や重心などといったハイキングに毛の生えたような説明しかない。本格的な山岳関連の本をみても、体重移動や重心、そしてストックの使い方といったものは当然として、それ以上ともなると期待するほどの解説はなかった。かつて富士山へ登ったときも、山岳部らしいと思われる人が両手をポケットに入れて口笛を吹きながらスタスタと登っていた。こういうのは、たぶん普段のトレーニングでの体力があって初めてできることなのだろう。

自分流の速歩術を考えるとなれば、歴史をたどるよりほかに方法はない。まずは明治末期から大正時代にかけてチベット探検を行った「河口慧海『チベット旅行記』」を調べてみる。

  • チベットに入ったばかりは、「日曜日はまったくの休みで散歩に出かけるが、山をどしどし駆け登る稽古をした」という。速歩はともかく、山歩きの練習はやはり必要なのだ。
  • 具体的な練習方法はといえば「用もないのにわざわざ石を背負って山の上へ登る稽古をした」という。その結果「大いに肺部が壮健になってきたように思う」と書いている。そういえば学生時代、山岳部の連中もそんなトレーニングをしていた……。
  • このように練習してくると「一日に十里位ずつ歩んでいる」らしい。1日で約40Km弱はチベット高原を歩いていたようだ。
  • こんなことをやっていれば疲れてくると思うが「苦しみも慣れてみるとさほどでもないと見えてウツウツと眠り込んだ」と言うから、不眠症などとは無縁になる模様。
  • それでもだんだん疲れてくるから「マッチともぐさを取り出して足の三里に灸を据えると、だいぶ足が軽いような感じがしてきた」。専門家ならともかく、自分で灸というより正しいツボを見つけられないので、サロメチールあるいはバンテリンといった筋肉疲労の鎮痛薬の登場か。今後のために灸の実験をしてもいいけど……。
  • もともと「チベット人の身体は強壮で歩くことの速いのには、とても及ばない(修行したつもりであるけどど)」ということらしい。結局は「チベット人の半分もない肺を持っているから徒歩では思いもよらない」といった機能面を語っている。いまでいえば、高地の住民であるから心肺機能がそもそも異なっているということか。オリンピック選手のように高地トレーニングを行って心肺機能を強化する必要があるようだけど、自分のような趣味のランニング程度では無理。普通の人には、そもそも高地トレーニングなどできるわけがない。

現在のように神社の石段を往復するだけではダメか。こうした場所ではマラソンのトレーニングをしている人も階段の往復練習をしているので、気分的な余裕だけはできる。ここでの具体的なトレーニング方法は、「重い荷物を背負って神社などの石段を登る練習をする」ことに尽きるかな。