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業務日誌#35

「しのご」が日々の業務で気が付いたことを、脈絡なく気ままに書き連ねています。

「超メモ術」の元祖を発見(?)

いまや自分にとって「超メモ術」は欠かせないメモの方法となっている。仕事のメモから読書日記、果ては参考になるデザインなんかは印刷してノートに張り付けている。まさに「なんでも記録ノート」になっている。

話は変わるけど、みんなは「植草甚一」という人物を知っているだろうか。とっくのむかしに故人となっているが、近郊の図書館から1975年に出版された「植草甚一読本」を借りたのだが、上記の超メモ術のルーツではないかという一文を発見した。

この時代だから、もちろん「超メモ術を実践しています」などと書いてあるわけがない。少し長いけど引用してみよう。

ぼくのメモ帖というものは日記帖の代用品であって、大学ノートの大きさで表紙が厚いのを使っている。一年ほど前から普通の日記帖はやめてしまった。だいたい日記を書くなんて面白くないし、それに日記帖のスペースはせまいから何も何もはりつけることができない。きのうのメモ帖には左がわのページに、ダンヒルのヘア・リキッドの箱の片がわを切ってはりつけ、それから近所に開店した「一〇一」というメンズ・ショップの名刺をはりつけた。

何やら「超メモ術」の原型がみられるようで、少し興奮した。1冊のノートになんでも書くという手法は、むかしからあったようだから、たぶん植草甚一も実践していたのだろう。ただし日記が基本のようなので、検索方法まで言及していないけど・・・。このころの時代は梅棹忠夫の「知的生産の技術」にある京大式カードなど、それぞれの人たちの専門分野で自分なりの方法を考え、確立させていたのだと思う。

植草甚一のむかしのエッセイを読んでいて、今日の「超メモ術」の原型らしき展開をみられるとは思わなかった。さまざまな分野の専門家で文書を書く機会のある人たちは、みんな自分なりのノート術や記録の方法を考えていたんだなぁ~と思って、感慨にふける。

ただそれだけなんだけど、自分的には何かを書き残したくなった。