業務日誌#35

「しのご」が日々の業務で気が付いたことを、脈絡なく気ままに書き連ねています。

3カ月単位の勉強計画シート

なにかの本を読んで、簡単でベストな展開方法を見つけたのなら、その方法を自分のスタイルに合うようにアレンジして展開しなければならない。「3ヵ月回転勉強法」(中野雅至著、すばる舎)を読んでみて、そのアイデアをシートとして作成し、自分の超メモ術ノートに張り付けて使えるようにした。

まずは「3ヵ月回転勉強法」とは何かだ。簡単にいえば、「資格試験などを受験するのであれば、3カ月単位でスケジュールを立てて勉強しよう」ということ。また、テーマが二つ以上の複数になるのなら「次の3ヵ月間で二つ目のテーマ、その次の3カ月間で三つ目のテーマを勉強する」というものだ。

守らなければならないのは、「休まないのは当然だが、できない日は10分でも時間があれば勉強しよう」ということで、なるほど言われてみれば当然だ。

本に書かれていた3ヵ月の立て方は、基本的に次のようなものだ。

  • 新書で相場観:2週間
  • そこそこのレベルで新書:1ヵ月間
  • 各論に突っ込む:1ヵ月間
  • 知識の確認:2週間

これをみて、おいおいと思う。最初と最後で2週間であれば、合計1ヵ月間として少ないではないか。1ヵ月間の期間の考え方も、30日や31日、28日間の月だってある。自分で考える必要がありすぎる。読者に考えさせる……、そこが狙いか。

自分の超メモ術ノートにベースとなるシートを貼り付けて使うなら、汎用ができるように確実なパターンでがあった方がよい。そこで次のようなスタイルとした。

  • 新書で相場観:15日間
  • そこそこのレベルで新書:31日間
  • 各論に突っ込む:31日間
  • 知識の確認:15日間

余裕のできる日数になってしまうと思うのなら、該当のテキストを復習にまわせばよいではないか。

とまぁ、こんなふうに考えて作ったのが下記の「3ヵ月勉強計画シート」だ。本体サイトにあるのでダウンロードして欲しい。A4用紙に印刷したらアカ線に沿って切り、見開きのA5ノートに張り付けるだけだ。

f:id:sxinogoeo:20180124161414p:plain

f:id:sxinogoeo:20180124161434j:plain

細々した注意点や使い方は、ダウンロード先に書いてあるのでそちらを参照して欲しい。いつものことだけど、このPDFシートはLibreOfficeで作りハイブリッドPDFにしてあるので、改造したい人はLibreOfficeで開けば編集が可能だ。

【解決編】野菜の摂取には「ちゃんこ鍋」が最適だが・・・

子供たちに夏場でも野菜を食べさせたいと思い、何日か前のブログ記事で「野菜の摂取には「ちゃんこ鍋」が最適だが・・・」という記事を書いた。ちゃんこ鍋なら子供も野菜を食べるけど、普通は冬場なので、夏場でもちゃんこ鍋を食べさせる方法はないものかと考えていたことを書いたのだ。

いろいろ探し回ったら、秘訣ともいえる解決方法があった。むずかしいことは何もなく、「ちゃんこ鍋は日替わりです。寄せ鍋ではありません」というものだった。

寄せ鍋にすると、中の具が連日にわたって同じものになってしまい、また味にも変化がなくなってしまう。ところがお相撲さんのちゃんこ鍋は、「メインとなる肉・魚『1種類』でちゃんこ鍋を作るため、味の変化も大きい」らしい。これが一般の寄せ鍋とちゃんこ鍋の大きな違いなのだという。

そういえば先日紹介した「高砂部屋のチャンコのレシピ」も何種類かあったが、本来はもっと多くの種類があるのだろう。またなかにはお相撲さんならではのちゃんこ鍋があり、材料や味覚の変化を大きくした一般向きではないものもあるに違いない。

そのちゃんこ鍋の解説には面白いことも書いてあった。「(ちゃんこ鍋の店は)どこの店もたまにしか食べないお客さん相手に、寄せ鍋を出しているのが実情」なんだそうだ。つぶれるようなちゃんこ鍋料理屋は、一般的な寄せ鍋しか出していないという秘密も書いてあった。

これまで、どこの店でも鍋は似たようなものだろうと思って、ちゃんこ鍋料理屋へ行ったことはなかった。家から徒歩30分ほどの距離のところには、何年も続いているちゃんこ料理屋があって、この店も看板を見るだけだった。しかし、何年も続いているということは種類もちゃんこ鍋が準備されているのだろう。

この記事のベースとなった解説者は、どうやら高砂部屋にいた人らしい。検索してみるとホームページはなく、「食べログ」や「ホットペッパーグルメ」に出ているこの店のひとかな(?)。家からでは新幹線で行かねばならず、気軽に訪れるには無理。まずは何年も続いいている地元のちゃんこ鍋屋へ行ってみよう。

野菜の摂取には「ちゃんこ鍋」が最適だが・・・

むかしからだが、子供たちはなかなか野菜を食べない。少しだけ盛り付ければ食べるものの、ちょっと分量を増やせば間違いなく残す。子供とどこかへ出かけてトンカツ屋へ入ったにしても、いつものボクのセリフは「キャベツを食べ終わらないうちは帰らないよ」というもので、これでは子供とておいしくも楽しくもないだろう(笑)。

かなり前から不思議に思っていたのだが、同じ野菜でも鍋料理にすると食べる。肉やタラ(魚)、そしてさまざまな野菜まで盛りだくさんであったにしても、文句を言わずに食べる。なるほど、相撲の世界と同じように鍋料理を中心にすればよい。

ちゃんこ鍋というより、冬の定番である鍋料理は、ネットで検索すればたくさん出てくるし、スーパーへ行けば鍋料理のスープが何種類も売っている。いまの季節は「ちゃんこ鍋」に限る。

まずはWikipediaちゃんこ鍋をみてみる。このページのリンクから高砂部屋のチャンコのレシピページへも行ける。またクックパッドの「ちゃんこ鍋」にも、それこそたくさんある。むかしプロレス雑誌で「プロレスちゃんこ」なる特集雑誌が出ていたが、なぜかAmazonで検索できない……。売り切れたのかな。

ついでに図書館のスポーツコーナーから相撲、プロレスの本棚へ行ってみれば、ちゃんこ鍋のつくり方の本はたくさんある。本が古くたっていいじゃないか。ちなみに料理のコーナーへ行ってみると、料理本の中に鍋料理があるだけだ(探し方が悪いのかな)。

冬の季節は各種鍋料理が野菜の摂取にとても良い。親も子供に「野菜も食べなさい」と騒がなくて済む。

ここからが本題だ。

冬は確かに各種のちゃんこ鍋を作れるし、大人から子供までどころか、年寄りがいたにしても問題はない。さらには、各種のなべ汁からポン酢までスーパーにいろいろそろっているから、考え次第でさまざまなバリエーションを楽しめる。

しかしながら、夏季の期間中にちゃんこ鍋を作るわけにもいくまい。相撲取りではないのだから、我々が夏の時期にちゃんこを食べるにはちょっと無理がある。いくら野菜の摂取が健康に良いからといっても、大人は対応できたところで、子供たちには通用するまい。ソバやうどん、ラーメン、辛いカレーなどを食べるのとは意味が違う。

こうなってくると、この記事に結論など出てこない。学校の給食だって、むかしから子供の野菜接種を盛り上げる方法を栄養士、調理師などが考えている。そして、これという結論を見たこともない。専門家でもこうなのだから、普通のものが案を出したところで成功の確率は非常に低い。

転載/【RPE】★「中韓に関わるな!」福沢諭吉の警告

みなさんもいくつかメールマガジンを読んでいることと思う。自分が読んでいるメルマガのなかには「ロシア政治経済ジャーナル」というものがあり、特に国際的な政治経済問題に関わっているわけではないが、何らかの場合は参考になるだろうと毎回期待しながら読んでいる。

このメルマガによれば、中国と韓国には関わるなということはむかしから叫ばれているが、まさか福沢諭吉まで述べているとは思わなかった。彼のいう脱亜入欧だって知っていたが、ここまで国名をあげてまでストレートのいっているとは思わなかった。

いまの中国、韓国をみればもっともなことで、これは現実的な動向であり思想には何も関係がないといえる。両国は、むかしから福沢諭吉が述べているような国だったのだ。

そのようなわけで、「ロシア政治経済ジャーナル」(著者:北野 幸伯)を紹介したい。ちなみに、このメルマガはまぐまぐで発行(無料)されているので、今後とも読んでみたい人は登録して欲しい。

 

RPE Journal==============================================

 

     ロシア政治経済ジャーナル No.1671


              2017/12/27

===========================================================

★「中韓に関わるな!」福沢諭吉の警告

(・・・略・・・)

では本題。

今、とても興味深い本を読んでいます。


●決定版・脱亜論 今こそ明治維新のリアリズムに学べ

(詳細は→ http://amzn.to/2CagXCS  )


正論大賞」を受賞された、拓殖大学前総長、渡辺利夫先生
の最新刊です。

「脱亜論」というのは、福澤諭吉が書いた記事です。

福澤諭吉といえば、慶応大学の創始者


一番有名な著書は、「学問のすすめ

もっとも知られた言葉は、

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと言えり」


福澤諭吉は、政治や国際関係についてもたくさん言及していま
す。

有名なのが「脱亜論(1885年)。

これ、原文で読んだら、わけわかりません。

しかし、渡辺先生の最新刊には、「現代語訳」があるので、と
てもよくわかりました。

福澤諭吉は、まず開国によって入ってきた「西洋文明」を肯定
します。


<文明というものは利益と損害ともどもに伴う(「利害相伴う」)
ものであり、むしろ利益の方が多いのだから、やみくもに文
明の侵入を防ごうとするのではなく、むしろその蔓延するにま
かせ、いちはやく国民に文明の気風を一身に浴びさせるよう努
めることが智者のなすべき任務(「事」)である。>


次に、「なぜアジアで日本のみが文明化に成功したのか?」を
説明します。

福澤によると、幕府の存在が文明化を妨げていた。


<西洋文明は日本の古くからのしきたり(「旧套」)とは両立
しないものであり、旧套から脱するためには旧政府を廃絶
(「廃滅」)するより他ない。>


古くからのしきたりを捨て文明化を進めるためには、倒幕が必
要だったと。


<旧政府を倒し、天皇中心の新政府を樹立することができた。
日本国中、朝廷といわず庶民といわず(「国中朝野の別なく」)
すべての者がことごとく西洋の文明を採用し、アジアの中にあ
って日本のみが旧套を脱し、ひとり新機軸を打ち立てることに
成功したのである。>


要は、明治維新が成功したから、文明化もできたのだ、と。


次に福澤は、「なぜ、中国・韓国は文明化できないのか?」を
解説します。

要するに、中韓は、「古い慣習にとらわれているから」文明化
できないと。


<二国の人々にも文明の事物について見聞(「聞見」)してい
ないはずはないが、耳に聞き目でみるだけでその心を働かすこ
とはない。

百千年以前の旧ふるい習慣(「古風旧慣」)への未練(「恋々
の情」)をどうしても捨てることができず、>


そして福澤は、中韓が「独立を維持できないだろう」と予言し
ます。


<私(「我輩」)からこの二国をみれば、現在の文明が東洋に
向かう(「文明東漸」の)時代潮流(「風潮」)にあって、そ
の独立を維持することなど到底できないというべきである。>


実際、韓国は日本に併合され、中国は列強の分割統治状態にな
りました。

次に福澤は、中韓を容赦なく非難します。

曰く

支那、朝鮮の政府は古くからの専制政治をつづけ法律を重ん
じることはない>

支那、朝鮮の士人が旧習に深く惑わされ(「惑溺深くして」)
科学的思考ができない>

支那人が卑屈で恥知らずな人間であることを西洋人が知れば
、日本人が正義を重んじ、強きをくじき弱きを助ける義侠心を
もった存在であることにも思いが及ばないであろう。>


それで、福沢は、西洋諸国が「日本と中韓は同じ」と思われる
ことをおそれます。

そして・・・。


<悪友と親しい者はともに悪友とみなされてしまうのは致し方
ない。

私は少なくともその心中においてはアジア東方の悪友とは交友
を絶ちたいと考えている。>(同上)


悪友(中韓)とつるんでいると、日本も「悪い国」と思われる。
だから、「悪友(中韓)とは交友を絶ちたい」と。

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」からは想像で
きない言葉です。

しかし、日本はその後、福沢諭吉の言葉とは真逆で、中韓と深く
深く関わるようになっていきます。

1910年に韓国を併合した。

その後、満州国問題で中国と揉め、1937年から日中戦争がはじ
まった。

中国は、アメリカ、イギリス、ソ連から支援を受けていた。

それで、結局米英との戦争に発展し、日本は敗戦にむかいます。


ちなみに渡辺先生は、

今と、福澤諭吉が「脱亜論」を書いたころの状況は似ていると
考えておられます。


明治維新150年。

その間、日本は大きな変貌を遂げたが、
日本を取り巻く東アジアの国際情勢は、
当時の状況と驚くほど重なって見える。

120年前、福澤諭吉によって唱えられた「脱亜論」。

その中で「悪友」と記された中国、朝鮮と
現在の日本の関係も、まさにそうである。

本書は、緊迫を増す東アジア情勢の下で、
日本の進むべき道を、明治維新の歴史に学ぶ。

明治のリアリスト福澤諭吉が、現代に蘇ったら
いったい何と言うのだろうか?>

(決定版・脱亜論、アマゾン解説文より)


似ているのはわかりましたが、ではどうすればいいのでしょう
か?

渡辺先生の考えを知りたい方は、こちらをご一読ください。


●決定版・脱亜論 今こそ明治維新のリアリズムに学べ

(詳細は→ http://amzn.to/2CagXCS  

 

 

===========================================================

インターバルウォーキングの実践/中満行・600日前後の成果

インターバルウォーキング(インターバル速歩)というより、自分の場合は1年間を越えてもはやインターバルランニングといった方がいいかもしれない。年間計画表から超整理手帳の自作リフィル「千日行シート」で管理する千日行スタイルへと移り、600日を経過したころだ。

いまは「1セット/(3分間ウォーキング+3分間ランニング)×6回」、この1セットを週4回実行を基本に行っている。季節によるけれど、雨や雪などで天候が崩れなければ、週5回ほども展開している。

購入してから1年ほど経過したランニングシューズを、少しはメンテナンスしておかなければならないと思うのも当然だ。そこでランニングシューズの靴底を見たら、衝撃を受けるほどに驚いた。靴底の減り方が、全面的に一様にすり減っているのだ。もう、ただビックリするだけ……。

マラソンやトライアスロンをやっていたむかし、靴底のかかと部分の片べりが気になっていた。さほどひどくはなかったが、ランニングシューズを後から見れば片べりしているのがすぐ分かる。また母指球にあたる部分の靴底の減り方も著しかった。こういう現象は仕方ないと思って、当時はランニングシューズの補修用ゴム剤(いまでも売っているのかな)を塗っていた。

走ることをやめてからしばらくはブラブラしていたが、再びランニングから始めることにした。むかしの全盛時代(?)のように動けないのは当たり前で、少しづつ調子を回復させるために実行したのが「インターバルウォーキング」だ。これまでの概要はこのブログカテゴリーの「運動面」にも書いているので、それを読んでもらうのが一番だ。

こうした経過を経てきて、いまやインターバル速歩から「インターバルランニング」へと駒を進めてきたわけだ。その副次的な成果が、ランニングシューズ靴底の片べり矯正となって明確に表れているとは思わなかった。

この記事を書く1~2週間ほど前、ちょうど良いメールマガジンを「まぐまぐ」で見つけたので登録したが、それは「プロが教えます。!正しいランニングシューズの選び方!」なるものだ。読みはじめたばかりの時期の649号に、ランニングシューズのはき方として、次のようなポイントが書いてあった。

  • 少しルーズに感じるものがベスト
  • カップにかかとを入れて履く
  • 側面を絞って、フィットさせながら紐を結んでいく

あれもこれものポイントはコーチがいるような選手なら対応可能だろうが、自分のような一般ランナーでは無理というもの。とりあえず上記の3つのポイントを実行していこう。いままで以上に、だんだん走りが整っていくはずだ。

インターバル速歩からスタートさせたことで、たぶんフォーム面が矯正されてきたのではないかと勝手に思う。次のポイントはシューズだ。良くなっている面を発見したのだから、バージョンアップしたインターバルランニングもベストな方向へと向かっていくのではないかと勝手に考えている。

イチョウの葉の栞で「防虫効果」(?)

世の中にはときどき驚くようなニュースが流れるけど、「古本にイチョウの葉『大切にされていた証』」という記事には驚いた。つまり江戸時代あたりのころ、イチョウの葉を栞代わりに使うことで、このイチョウの葉の防虫効果が書籍保存に貢献しているということだ。

これはマネするしかない。普段は文庫本などに挟まっている栞を使いまわしているが、いまの季節は家の前のイチョウ並木が葉を落としているので、たくさんある。きれいな葉を何枚か選び自分専用の栞にしよう。

このような記事を読めば、本当に効果があるのかなと思うのは当然だ。上記に記事にも、疑問に思ったことが書かれている。しかし、イチョウの葉には防虫効果があることが分かったらしい。江戸時代には、そうした効力が経験的に分かっていたらしいが、その根拠まではわからなかったそうだ。

とまぁ、そんなことが上記のサイトには書かれている。

何枚かのイチョウの葉を集めたが、落ち着いて考えてみると疑問が出てきた。

江戸時代ともなればさまざまな紙がつくり出されていると思うが、原料や薬剤などなどは何種類もあったのだろうか。いまの紙となれば原材料のパルプのほかに、各種の特長を持たせる副次的な材料、また何種類もの薬液や薬剤が加えられているに違いない。

このように紙の製造技術の進歩で、いまや「本の虫食い」という現象どころか、その用語すらもこのところ聞いたことがない。本の虫干しというのも、むかしの風習を知識として知っているだけだ。「イチョウの葉を栞にすることで防虫効果を期待する」というのも、いまでは風流的な気分を味わうだけではないか。

面白いほど詰め込める勉強法」によれば、いまや大学教授でもマンション住まいなどが多くなり、家には書籍をあまり置いていないそうだ。さらに一軒家だったにしても普通の住宅なので、大量の本の重量には耐えられないと……。

また「知的生活の方法」を書いた渡部昇一のような、たくさんの蔵書を保管しておける家を持っている大学教授も、いまや非常に少ないなんてことも書いてある。

江戸時代と現代では、本の用紙の原料から製造方法まで大きく違うし、そもそも大量の自分用の蔵書すら持てなくなっている。古書集めを趣味とする人以外なら、いまやイチョウの葉を栞に使ってまで保存することは、たぶん風流ということ以外にないのではないか。そんなふうに思うのだった。

瞑想時間「3分間」はあっという間だった

なかなか本格的な瞑想にはいたらない。ヨガ式なのか座禅方式なのかは不明だが、過去にはこのブログにも書いていた自律訓練法、そしていまのところ各種方法で瞑想のマネごとにをやってみている。要するに、ヒントが得られたときにやってみているだけで、本格的に瞑想教室やヨガの道場にかよっているわけではない。

むかしから趣味というほどでもないが、さまざまな瞑想本を集めていた。ヨガ式ということで買った「完全図解 瞑想HOW TO」なる本を久しぶりに眺めていたら、ここに「毎日、続ける:「慣れ」も必要だ。1分間でも、瞑想する時間を毎日つくる」なんてことが書いてある。そうなのだ、1分間でもいいから瞑想を行う時間を作ればいいわけだ。

仕事をしている人なら、ときには急に飲まなければならないことだってある。昼食時だって、相手によってはビールを飲まざるを得ないときがある。そんなとき役に立つのが、この1分間瞑想展開だ。

1分間瞑想をやってみると、最初はあっという間に終わってしまう。やり方は「完全図解 瞑想HOW TO」を参考にして、まず4回の深呼吸を行う。次に自分の周囲に結界をイメージする。それから丹田に意識を集中させ続ていく。ここまで行えば1分間の瞑想は完成だ。

以前、このブログにも書いた「「瞑想」や「座禅」での眠気防止」に書いた「18分集中法」には、「7分間プチ瞑想法」というのが書かれている。時間の許す限り実行していたのだが、しばらくして気がついたことは「毎月1分間でもいいので増やしていけばいいのではないか」ということで、このブログを書いている時点では13分間の瞑想時間となっている。

こなってくると、前述した1分間瞑想などは当たり前に行え、いまは3分間にまで達した。身体が瞑想に適してきたのではないかと勝手に思っている。3分間瞑想だと、「まず4回の深呼吸を行う。次に自分の周囲に結界をイメージする。そして丹田に意識を集中させ続ていく」という部分までは1分間瞑想と同じ。

丹田から、第三の目と魂の座をイメージして、これらを身体の中心軸とする。このイメージを保持していると3分間の瞑想時間は終了となる。これ以上瞑想していると、周囲から寝ているのかと疑われるので3分間が限界とも思う(笑)。

ともかく、やってみれば3分間は長いようで以外に短いものだ。前述した1分間瞑想が発展してきて3分間瞑想までできるようになってくると、瞑想が苦痛ではなくなってくる。

ボクのやり方がいいのか、適切でないのかは分からない。しかしながら3分間の瞑想時間というのは、瞑想のイメージが確立でき、周囲からも寝ていると思われないベストな瞑想方法なのだった。

3分間瞑想だって、何もやらないよりは意味があるのではないか。なんでもそうだが、やってみてそれが自分の身についてくると、次へのステップアップが図れる。