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業務日誌#35

「しのご」が日々の業務で気が付いたことを、脈絡なく気ままに書き連ねています。

インターバルウォーキングの実践/9ヵ月目の途中経過

運動面

インターバルウォーキング(IW)もしくはインターバル速歩を実施して、いまや9ヵ月目が終わろうとしている。5ヵ月目を過ぎてからの成果は、1年後に書くことになっていた。書籍にもそう書いてあったのだが、あえて書いておきたい。

実のところ、速歩はしていない。速歩のパートは、ジョギングになっているのだ。だから、ウォーキング3分、ジョギング3分間のくり返しで、それ以外の展開方法はインターバル速歩の書籍に書いてあったとおりである。ともかく速歩のパートは、ジョギングに切り替えた。

とにかく、速歩がのんびりし過ぎて耐えられない。5ヵ月目を過ぎたころだろうか。坂に差し掛かると、「坂では走った方が良いと思うよ」と心の声が聞こえてくる。速歩のパートにかかっているなら、その坂道はジョギングペースにしていた。心の声に素直に従っていたわけだから、問題はなかったと思う。

そして9ヵ月目に突入したあたりで、再び心の声が「速歩の部分は、すべて走れ! 走るのだ!」と命令してきた。そして速歩パートの3分間は、すべてジョギングペースに切り替えた。マラソンやトライアスロンをやっていたとはいえ、やめてから10年以上も経過しているので、走るといってもまだまだジョギングペース。でも、知らぬうちにウォーキングとジョギング組み合わせたインターバルで走るようになってきた。

このIWを行う前は、体調を元に戻すのに1年以上の時間はかかるだろうと考えていた。ところが、このIWのおかげで9ヵ月目あたりに復活の兆しが見えてきたのはうれしい。そして指示が心の声ということは、身体からの要望ということだろうから、自分の意志で無理をしているわけではない。

それにしても、「インターバルウォーキング(インターバル速歩)は体調管理に非常によろしい」という記事はネット上にくさるほどある。しかし、「インターバル速歩をやっています」あるいは「インターバル速歩を1年やりました」というBlogなどでの実践レポートともなると、非常に数少ない。ましてや1年間も続けていたのなら「1年やりました」「体調が良くなった」だけではなく、走行距離やスピードなど自分の行動や意欲、記録などで語れる部分はないのだろうか(?)。

スポーツトレーニングから離れて何年も経過しているので、再び行うにはむかしの記憶や記録、トレーニング方法などなどは頭からきれいに消している。そして自分の体力レベルは、自分が考えている体力より一段階下に設定する。

この一段階下に体力を設定しておくというのは、トライアスロントレーニングをやっていたときのマフェトン理論の方法だ。自分をワンランク下げて考えるというのは、簡単だが意外と難しい。いまごろになって再び役に立つとは……。

結論。IWの現状は健康運動的なものだったが、だんだんスポーツトレーニングへの切り替わり時期に差し掛かっているようだ。せっかくここまでウォーキングと速歩でガマンしてきたのだから、ウォーキングとジョギングでしばらくは耐えよう。そうすれば切り替えの時期も再び身体の心の声が教えてくれ、本来のインターバルトレーニングのようにハードなランニング、ソフトなジョギングでつなげられるようになるだろう。

「サンタクロースはいるんだ」の記事を再び

文化面

この季節になってくると、海外のサイトはもちろん、海外のDIY関連サイトでも趣向を凝らしたクリスマス飾りの記事が満載だ。いまでも気になるのは、海外での新聞記事で、なかでも1897年にニューヨーク・サン紙に掲載された社説「サンタクロースはいるんだ」。青空文庫でも読める。

気になるのは、子供の気持ち、考えなどへの配慮だ。いまの時代なら、理論的なものなら幼児教育などで確立されていようが、この記事はただ新聞で語りかける。幼児教育などが十分に確立されていないであろう時代に、相手に語りかける手法があったのだろうか。この記事が、いまでも残っている秘密はこんなところにあるのかもしれない。

いまでもあるのかは分からないが、ひところラジオ番組で「こども電話相談室」などという番組があった。Wikipediaで見る限りでは終わったようだが、これなども長期間にわたって続いていたのだから、子供に語りかける現代的な手法だったといえるのではないか。なにやら、この新聞記事と何やら共通する部分がありそうな気がする。

理屈はともかく、いちいち青空文庫で見るのも面倒なので、自分のサイトでも見られるようにしておきたい。

サンタクロースはいるんだ
YES, VIRGINIA, THERE IS A SANTA CLAUS

ニューヨーク・サン紙社説(担当:フランシス・ファーセラス・チャーチ) The New York Sun (written by Francis Pharcellus Church)

大久保ゆう

 

<ニューヨーク・サン新聞 1897年9月21日 社説欄>

 本紙は、以下に掲載される投書に対してただちにお答え申し上げるとともに、このようにまっすぐな方が読者におられることを、心から嬉しく思います。

「こんにちは、しんぶんのおじさん。わたしは八さいのおんなのこです。じつは、ともだちがサンタクロースはいないというのです。パパは、わからないことがあったら、サンしんぶん、というので、ほんとうのことをおしえてください。サンタクロースはいるのですか?

                   ヴァージニア・オハンロン」

 

 ヴァージニア、それは友だちの方がまちがっているよ。きっと、何でもうたがいたがる年ごろで、見たことがないと、信じられないんだね。自分のわかることだけが、ぜんぶだと思ってるんだろう。でもね、ヴァージニア、大人でも子どもでも、何もかもわかるわけじゃない。この広いうちゅうでは、にんげんって小さな小さなものなんだ。ぼくたちには、この世界のほんの少しのことしかわからないし、ほんとのことをぜんぶわかろうとするには、まだまだなんだ。

 じつはね、ヴァージニア、サンタクロースはいるんだ。愛とか思いやりとかいたわりとかがちゃんとあるように、サンタクロースもちゃんといるし、そういうものがあふれているおかげで、ひとのまいにちは、いやされたりうるおったりする。もしサンタクロースがいなかったら、ものすごくさみしい世の中になってしまう。ヴァージニアみたいな子がこの世にいなくなるくらい、ものすごくさみしいことなんだ。サンタクロースがいないってことは、子どものすなおな心も、つくりごとをたのしむ心も、ひとを好きって思う心も、みんなないってことになる。見たり聞いたりさわったりすることでしかたのしめなくなるし、世界をいつもあたたかくしてくれる子どもたちのかがやきも、きえてなくなってしまうだろう。

 サンタクロースがいないだなんていうのなら、ようせいもいないっていうんだろうね。だったら、パパにたのんで、クリスマスイブの日、えんとつというえんとつぜんぶを見はらせて、サンタクロースをまちぶせしてごらん。サンタクロースが入ってくるのが見られずにおわっても、なんにもかわらない。そもそもサンタクロースはひとの目に見えないものだし、それでサンタクロースがいないってことにもならない。ほんとのほんとうっていうのは、子どもにも大人にも、だれの目にも見えないものなんだよ。ようせいが原っぱであそんでいるところ、だれか見たひとっているかな? うん、いないよね、でもそれで、ないってきまるわけじゃない。世界でだれも見たことがない、見ることができないふしぎなことって、だれにもはっきりとはつかめないんだ。

 あのガラガラっておもちゃ、中をあければ、玉が音をならしてるってことがわかるよね。でも、目に見えない世界には、どんなに力があっても、どれだけたばになってかかっても、こじあけることのできないカーテンみたいなものがかかってるんだ。すなおな心とか、あれこれたくましくすること・したもの、それから、よりそう気もちや、だれかを好きになる心だけが、そのカーテンをあけることができて、そのむこうのすごくきれいですてきなものを、見たりえがいたりすることができる。うそじゃないかって? ヴァージニア、いつでもどこでも、これだけはほんとうのことなんだよ。

 サンタクロースはいない? いいや、今このときも、これからもずっといる。ヴァージニア、何ぜん年、いやあと十万年たっても、サンタクロースはいつまでも、子どもたちの心を、わくわくさせてくれると思うよ。

 

※ そのあと、ヴァージニアはニューヨークの学校の先生になって、四七年間子どもたちを教えつづけたそうです。

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翻訳の底本:The New York Sun (1897) "Yes, Virginia, There is a Santa Claus" 

上記の翻訳底本は、著作権が失効しています。

  2002(平成14)年10月1日初訳

  2011(平成23)年12月9日改訳

※この翻訳は「クリエイティブ・コモンズ 表示 2.1 日本 ライセンス」(http://creativecommons.org/licenses/by/2.1/jp/)によって公開されています。Creative Commons License

上記のライセンスに従って、訳者に断りなく自由に利用・複製・再配布することができます。

※翻訳についてのお問い合わせは、青空文庫ではなく、訳者本人(http://www.alz.jp/221b/)までお願いします。

翻訳者:大久保ゆう

2014年3月24日作成

青空文庫収録ファイル:

このファイルは、著作権者自らの意思により、インターネットの図書館、青空文庫http://www.aozora.gr.jp/)に収録されています。

これを読んで、どう思うか、どう考えるかはその人次第。自分だって、理屈もなくただ心に残るだけなのだった。

迷惑テレホンセールス:リッシュ

迷惑テレホンセールス

少し静かになってきたと思ったけど、年末になり迷惑テレホンセールスが増えてきた。「リッシュ」とかいうリサイクル関連のようだ。

 

女性)○○といいますけど、古いレコードとかレトロな(セールストーク)、不要なものはありますか?

自分)ちょっと社名がきこえなかったので、社名をもう1回。

女性)リッシュといいます(うまく聞こえなかったけど、社名などどうでもいい)

自分)どこにあるの?

女性)二日町にあるんですが、この電話は東京からかけています。レトロな~(セールストーク)

自分)ふ~ん、じゃぁ電話番号は?

女性)03-6995-1240になります。レトロな~(セールストーク)

 自分)ところで住所は?

女性)(仙台市青葉区)二日町16-20になります。レトロな~(セールストーク)

自分)あなたのお名前は?

女性)タクマといいます

自分)タクマなんというのさ?

女性)タクマといいます

自分)だから、名前を言いなさいよ

女性)タクマヨウコといいます。レトロな~(セールストーク)

自分)ホームページはあるのか?

女性)あります

自分)だったらホームページを見ればいいじゃないか。そうだろ

女性)(※ブチッ、プ~プ~)

 

 迷惑テレホンセールスってのは、こんなもんだ。

再び「念願は人格を決定す 継続は力なり」に出会う

文化面

むかしから「継続は力なり」などといわれてきた。大正から昭和にかけて活躍した宗教家・住岡夜晃という人の詩にある一文だ。

ネット関連のニュースサイトを見ていたら、「OCNのホームページサービス終了」などという見出しを見つけた。この詩の参考にしていたサイトは、もしかしたらOCNだったかなと思い該当サイトを見たら、やはり移転していた。OCNのサイトだったかは不明だけど、ともかく見失った。

検索すれば、この詩はさまざまなサイトやBlogに掲載されて使われている。しかし、掲載されていたサイトには、他の詩もいろいろと掲載されていた。検索してもなかなかヒットしないので、自分のサイトに書いておけばいいのではないかと思い始めた。この詩の部分だけ掲載しておこう。

青年よ強くなれ
牛のごとく、象のごとく、強くなれ
真に強いとは、一道を生きぬくことである
性格の弱さ悲しむなかれ
性格の強さ必ずしも誇るに足らず
「念願は人格を決定す 継続は力なり」
真の強さは正しい念願を貫くにある
怒って腕力をふるうがごときは弱者の至れるものである
悪友の誘惑によって堕落するがごときは弱者の標本である
青年よ強くなれ 大きくなれ

住岡夜晃著『讃嘆の詩(樹心社)』より

意欲を向上させる詩はいろいろあるが、その中でもこの詩だけはなぜか忘れがたい。

しかし、この「住岡夜晃」という人は、どのような人だったのだろう? Wikipediaをみてもすんなり出てこない割には、この詩の「継続は力なり」だけが有名になって、何かといえばどこにでも出てくる。

むかしノンフィクション作家・沢木耕太郎の本(タイトルは忘れた)を読んでいたとき、その中に「井上陽水から、宮沢賢治の『雨にも負けず風にも負けず』の全文を知りたいと電話があった」という一文があった。いまでこそネットで詩の全文を検索できるが、フォークソング全盛時代はこのような手段しかなかったわけだ。確か沢木耕太郎も、詩の全文は知らなかったし、資料もないと書いてあったと記憶している。

それを読んだときは、「自分も必要な資料は、すべてそろえておかねば」と思ったものだが、いまやネットで検索すればOKだ。同じような問い合わせなど、ほとんどあるまい。

参考にしていた「継続は力なり」サイトもようやく発見した。常時見ているわけでもないので、また移転されると困るから記載しておくのだ。

ちょっと気になるGIF動画

文化面

ネットを見ていて気になった画像(特にポスターなど)などは、さまざまな面で参考になるかと思ってストックしている。参考になるメモやアドレスなどを書き加えているわけではないから、いろいろ探しても二度と見つからないような画像も多い。むしろ、こちらの方が多い。

掲載された画像のサイトを二度と見ることができなくなった中でも気になったのは、下記のGIF動画だ。どこで拾ったのか、いつごろのものかの記憶もない。でも、とても気になる。

f:id:sxinogoeo:20161121154724g:plain

画像を少し加工したGIF動画というのは、ネットで検索してみればたくさんある。しかし、工夫したなというものはあっても、絵画調でモノクロームの色調のGIF動画というのは見たことがない。自分でも作ってみたいとは思うものの、ここまで作り込むのは無理だ。思わず引き込まれる……。

これを見ていて岡本太郎が作った本というのを思い出した。青と赤の二色のインクだけを使った本で、身近にいた岡本敏子でも本を見ていると目がチカチカしてくるといっていた。このGIF動画は、それと似通った不可思議なイメージを感じる。

このGIF動画を作った人は、ほかにも絵画調、そしてモノクローム調のGIF動画を作っているに違いない。もっともっと、見てみたい気がする。

えんぴつ(鉛筆)の世界へ踏み込んでみたが・・・

文化面

ドリトル先生のメモ展開を調べ、その結果を記載してみた。むかしの話とはいえ、ドリトル先生はメモを書く場合に鉛筆を多用している。このところ、手書きで書く場合でもボールペン、たまにシャープペンを使うことが多く、鉛筆を使うことはほとんどない。

ここはドリトル先生のマネをして、鉛筆を主力として使ってみようと思ったのだ。なにしろ仕事はPCが中心だし、手書きをすることがあってもボールペンがほとんどなのだ。シャープペンシルはあるけど、たまに使う程度なので、入っている芯もさほど消費しているわけではない。鉛筆を使うケースは見当たらない。文房具屋でも筆記具売り場のスペースをみてみれば、ボールペンやシャープペンがメインであることは一目瞭然だ。

そこで、久しぶりに2B(2Bの濃さは、むかしの原稿書きのトレンド)の鉛筆を1ダース買ってきた。ガンガンと手書きができると考えていたのだが、結果を言おう。1~2本ほど削ってみたが、ほとんど使用機会もなく、未使用の鉛筆は子供たちへあげてしまった……。

要するに、わざわざ鉛筆を使って手書きをするチャンスがないのだ。「超メモ術」「アイデアマラソン」を手書きでやっているとはいえ、書くのはほとんどがボールペン。見える範囲内にボールペンがなければ、さっと手に取る筆記具はシャープペンだ。

少し鉛筆を使う工夫をしてみた。100円ショップから鉛筆立てを買ってきて、すぐ書けるようにした鉛筆を入れておいたのである。その結果でも、やっぱり使うのはボールペン、たまにシャープペンを使う結果だった。

これではいけないと思い、鉛筆を使っている人のサイトをいくつか見てみた。鉛筆を使うことを職業としている美術や工芸などの分野はともかく、そのほかは鉛筆を中心に使っているという主張ばかりで、具体的な秘策(?)は少ないようだ。鉛筆の生産量をみてみれば、年々減少の一途をたどり、一般的に主力で使っているのは小学生というあり様だ。

もはや鉛筆という筆記具は、小学生が使うものか、あるいは趣味の世界へ溶け込んでいるのだった……。

哲学カフェがトレンドになる(?)

文化面

自分の学生時代は、純喫茶といったような喫茶店がことのほか多かった。しかし時代の流れとともにむかしながらの喫茶店は少なくなり、古風な喫茶店は特色あるスタイルに変えなければいけない。とまぁ、そんな内容のレポート記事を読んだのだった。

そして独自スタイルの喫茶店の例として出されていたのが、なんと「哲学カフェ」。Wikipediaにも哲学カフェの解説があるが、これは専門家同士の討論、もしくは専門家が一般に分かりやすく自分の研究テーマについて解説することを目的にしているものが多く、むかしながらの喫茶店ができるとは思えない。要するに、例として出ていた哲学カフェのように、自分の専門分野や趣味といった、特色を明確に打ち出した喫茶店にせよという提案なのだろう。

このような喫茶店は、入ってみたことはないのだが近所にもある。クラシックなステレオそしてラッパのスピーカーなどを何台か置いている喫茶店、大正琴や尺八などの教室を併設している喫茶店などで、自分では一度も行ったことはない。数年たっても元気に営業しているということは、それなりに客がいるのだろうし固定客も多いのだろう。

またオートバイのヘルメット専門店なのか喫茶店なのか不明な店、店内になぜかロードレーサーに加えて自転車の各種パーツが置いてある喫茶店、不思議な喫茶店はいろいろ見かける。固定ファンがいるのだな。さらに、自分はアマチュア無線を趣味にしていたが、カウンターにアマチュア無線の無線機をズラリと設置している喫茶店もあった。

単にコーヒーを提供するだけではなく、何らかのプラスアルファのある喫茶店がトレンドになるのだろう。コーヒーの味わいも重要だが、そのコーヒーショップでプラスアルファ―の楽しみがなければいけないということか・・・・・・。

この哲学カフェの記事の趣旨は、哲学カフェというわけではなく特色のある喫茶店、あるいはコーヒーショップを持つ。ここにあるに違いない。

大学生時代、同級生がバイトをやっている喫茶店があった。ここは普通の喫茶店だったが、ケーキはチーズケーキだけで、これはオリジナルのチーズケーキ。作る様子を見ていると、バイトでも作れるチーズケーキで、それなのに評判になるのかと驚いたことがある。それと同じことだ。

教訓。他人と同じ土俵で動くなら、プラスアルファのことをしよう。まさにアイデアマラソンに通じる世界だ……。